日野原重明さんといえば、
医学博士として長年活躍される、
日本医師の世界で尊敬されるべき存在。

ベテラン医師の多くの方が日野原重明さんに憧れ、
医師としての今後のあり方に対して、
賛同する意見を持っていたことでしょう。

そんな日野原重明さんの華麗な経歴は、
1911年に山口県で生まれた時から始まりました。

当時の京都帝大の医学部を卒業されて、
1941年から聖路加国際病院にて務めました。

1911年山口県生まれ。京都帝大医学部卒。41年から内科医として聖路加国際病院に勤めた。同病院内科医長、聖路加看護大学長、同病院長などを歴任。02年度朝日社会福祉賞。05年に文化勲章を受章した。

専門は内科学。54年、勤務していた聖路加国際病院で、国内の民間医療機関で初めて人間ドックを導入した。成人病と呼ばれていた脳卒中、心臓病などを「習慣病」と呼んで病気の予防につなげようと70年代から提唱してきた。旧厚生省は96年になって成人病を生活習慣病と改称し、今では広く受け入れられている。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170718-00000016-asahi-soci

民間の医療機関で初めて人間ドックを導入するなど、
その経歴は、今を生きる僕らが感謝するに等しい内容なばかりです。

成人病を「生活習慣病」としてのも、
日野原重明さんだったのです!

しかし、最近になって、
100歳を過ぎても現役だった日野原重明さんが、
死去されてると噂が流れてました。

具体的にいつ頃なくなったのでしょうか?

日野原重明が死去したのいつ?(死因・病気)

日野原重明さんが亡くなったのは、
2017年7月18日の朝6時33分です。

ということは、それ以前に流れていた死去説は、
噂だったということです。

100歳を過ぎても医師を続け、「生きかた上手」などの著作や講演で広く知られた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明(ひのはら・しげあき)さんが、18日午前6時33分、呼吸不全で死去した。105歳だった。戦後いち早く、患者と対等に接する医療に着目。看護教育の充実などに取り組んだほか、柔らかい表現で命を語る姿勢が幅広い世代に親しまれた。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170718-00000016-asahi-soci

戦後から現役を続けて、
ギリギリまで今の医療と対峙し、
そのパワフルな活躍ぶりは、
他医師から尊敬されるほどでした。

100歳を過ぎても医療に関われるとは、
今後の医療の世界の常識を変えていきそうです。

また朝食にジュースにオリーブオイルをかけて食べるなど、
その斬新な健康方法でも、未来を見据えた革新的な方だと注目されました。

今後、日野原重明さんと同じような医師は、
滅多に現れることはないでしょう・・・。

 

日野原重明は何歳でも聖路加国際病院で現役。(新聞では命日は何日?)画像・動画

日野原重明さんは哲学者としても評判で、
書いた書籍は必ずと言っても良いほどヒットしました。

昔からの知恵と、新しい知恵と、
その両方から医療を見つめていた日野原重明さんは、
ある意味、現役最高の医者だったことでしょう。

日野原重明さんが理想としていた未来が、
本当に訪れてくれれば嬉しいのですが・・・。

 

自立し社会に貢献する新しい老人像を求める「新老人の会」会長として全国で講演。著書は200冊を超える。90歳で「いまだに現役で、想像力も行動力も若い人には負けない」と記した「生きかた上手」(ユーリーグ)がベストセラーになるなど、命を語る著作が広く親しまれている。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170718-00000016-asahi-soci

 

戦争の時代を経験し、
ハイジャックも経験し、
その生命への価値観は、
他の医者とは比較になれないほど大きいです。

優しい話し口に、
医学に興味のない人まで、
日野原重明さんのファンになるほどです。

今後、日野原重明さんが残した知恵や言葉は、
僕たちの未来の支えになることでしょう。

長く長く、本当にお疲れさまでした。

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