Xのベーシスト・TAIJIさんと言えば、2011年に死去するまでに破天荒な人生を過ごした方として有名です。
YOSHIKIさんからの熱心な誘いからXに加入し、一度の脱退を挟んでメジャーデビュー。
メジャーデビュー後は素行の悪さから1991年にスタジオミュージシャンに降格、1992年にクビという流れを辿り、ホームレスを経験したこともあります。
孤独な放浪者のイメージがあるTAIJIさんですが、実は結婚した過去があり、元嫁と子供が存在します。
亡くなる最後は内縁の妻がいたとのことで、最初から最後までずっと孤独だったわけではありません。
今日はTAIJIさんが昔に結婚した相手と子供、そして最後に愛した婚約者について書いてみたいと思います。
メジャーデビュー時に一般人の女性と結婚。男1女1の子供を授かる
TAIJIさんの初婚は、Xとして1989年にメジャーデビューした頃です。
当時、23歳だったので、かなり若い頃に結婚していたということです。
結婚した相手は一般人の女性でした。
結婚した時期からも下積み時代を支えた女性と、経済的な余裕が生まれたことで入籍したと考えられます。
当時の嫁がどんな女性だったのか、情報は少ないですがTAIJIさんが死去された後に若き日の彼と彼女を知る人がSNSにこんな投稿をしていました。
元Xのベーシスト、TAIJI沢田泰司死去?私が彼に会った頃、綺麗な青年でした。Xはあの頃、結成と解散ばかり繰り返していたYoshikiが最強最高のバンドを創るために全員と言ってもToshi以外だろうけれど、リーダーばかり集めたと言ってた。TAIJIの当時の彼女も綺麗な女史だった。
↑もし、この方が目撃した当時の彼女が後の嫁さんになっていたとしたら、かなりの美人だということです。
元嫁と離婚するまでに生まれた息子と娘。すでに成人
TAIJIさんは1992年にXをクビになった後、LOUDNESSなど凄腕バンドで活躍します。
結成したD.T.Rが1996年に活動が休止になり生活が困窮すると、私生活では嫁とも離婚します。
1996年に離婚した時点で、元嫁との間に男の子と女の子の子供がいました。
結婚した1989年頃から1996年年までに生まれた子供だということで、現在は成人しています。
子供の詳細に関しては性別以外は不明です。
生前のTAIJIさんが子供や動物に優しかったということで、自分の子供のことも溺愛していたと想像できます。
ただ、厳密な離婚理由は不明で、親権や裁判所での決定事項次第では、離婚後から死去するまでに子供と接点がなかった可能性もあります。
TAIJIの内縁の妻・赤塚友美。マネージャーや自殺の誤報と闘い続けた献身的な美女
TAIJIさんは2011年に異国の地・サイパンで死去してしまいます。
亡くなった際、TAIJIさんの家族と内縁の妻が現地に入って最後の対面を果たしたと報じられました。
死去後の2012年には当時のTAIJIさんの事件の取り扱いに不備があったと報じられました。
首吊りのはずなのにクビに跡がなく、口にテープの痕跡があったこと、TAIJIさんのカルテが紛失していることなどが明らかになったのです。
または当時の北見マネージャーが内縁の妻にお金を要求するメールを送り、婚約者がマネージャーを起訴したとの報道も出ました。
この時に、TAIJIさんの婚約者(内縁の妻)である赤塚友美さんが脚光を浴びました。
明らかに闇のあるTAIJIさんの死でしたが、赤塚さんは再調査を訴えるなど献身的に動いていたのです。
赤塚友美は元バレエダンサーの美女!TAIJI死去後も署名運動や書籍出版
TAIJIさんの死去後に話題となった元婚約者の赤塚友美さん。
馴れ初めは2009年頃のライブで、当時の赤塚さんはバレリーナでした。
TAIJIさんより13歳年下で、とても可愛らしい女性です。
病気だったTAIJIさんを支えるためにバレリーナを退団し、亡くなる2011年までに婚約者という関係でした。
名前 | 赤塚友美 |
生年月日 | 1979年7月10日 |
職業 | 元バレリーナ。(TAIJIを支える為に退団) |
結婚 | 2年間内縁の妻をやった後、2020年に結婚して幸せに過ごしている。 |
TAIJIさんは赤塚さんと出会ってから、闘病生活を克服し、Xに復帰するなど良い事続きでした。
後に出版した書籍では、赤塚さんはTAIJIさんのことを「怪我と病のデパート」と記しており、心体共に病気や障害が多く苦労したそうです。
正式にXの正規メンバーとして第二のミュージシャン人生が再スタートできていれば、2人は結婚していた事でしょう。
それだけに、2011年に起きた事件はとても悔やまれます。
赤塚友美はYOSHIKI公認の関係者。現在は別の男性と結婚している
TAIJIさんの生前最後の恋人であった赤塚友美さん。
お金を要求してきた北見元マネーシャーを遠慮なしに起訴したり、不審死事件の検証及び再調査に関する署名活動を行うなど、最後の最後までTAIJIさんのために懸命に働きかけました。
晩年のTAIJIさんのことを最もよく知る女性ということで、その存在はファンの間でも有名です。
2015年にはエッセイ「TAIJI-沢田泰司-」を出版し、出会いから別れまでに見たTAIJIさんの魅力などをファンに伝えました。
赤塚さんは決してXのファンではなく、ヒョンなことがきっかけで知り合ったということで、素朴な女性から見たTAIJIさんの人物像が伝えられ、とても新鮮な内容となっています。
TAIJIさんの口数が少なく会話のペースの合う部分に惹かれ、見た目に反して優しくて穏やかなギャップが大好きだったそうです
間近に見たTAIJIさんの性格や素行、素敵だった部分について綴られ、仕事以外のオフショット写真も載せられていました。
赤塚さんは病気や怪我・事故の多いTAIJIさんの側で苦労をしながらも、
『TAIJIさんは病や障害との戦いを諦めたことはありませんでした。彼の「治したい」「生きたい」という思いには揺るぎない強さがあり、その強さは私をはじめとする周囲の人間をも勇気づけてくれました』
と、TAIJIさんの側にいながらも幸せだった日々を回想しています。
現在ではYOSHIKIさん公認の関係者で、2015年の追悼トークイベントにも出席されています。
TAIJIさんの死後、別の男性と出会い結婚しています。